おはようございます
田中です
今日のお話です
どうぞご覧ください
新しいバックナンバーサイトに
読めない記事や画像が無い記事が
御座いますがご了承ください
昨日5月10日は
初めて警視庁史の自動車事故の
第1号記録された日です
その事故とは
1900(明治33)年5月10日
後の大正天皇となられる嘉仁親王後の
貞明皇后となられる
九条くじょう節子さだこ氏の
結婚式が行われました
この式典を祝して
サンフランシスコ駐在日本人会から
1台の電気式自動車が献上されましたが
初めて見る電気自動車で
宮内庁が献上前に試運転をしたところ
偶然にも?
ブレーキが効かず皇居のお堀の中へ…
そのまま自動車はお蔵入りとなりました
「偶然にも?」は
とりあえず無視して
1900年に電気自動車が存在していたことは
初めて知りました
調べてみると
人間は乗用しませんでしたが
電気自動車の元祖は
ハンガリーのイェドリク・アーニョシュの発明で
彼は1827年に電動機を開発し
翌1828年には模型車両に載せて
動かすことに成功しました
電気自動車としては
1830年代にスコットランドの発明家
ロバート・アンダーソンが
充電不可能な一次電池を搭載した
世界初の電気自動車を発明しました
ガソリンエンジン車を
カール・ベンツが発明したのが
1886年なので
その半世紀も前に電気自動車は
誕生していたというわけです
アメリカでも発明王トーマス・エジソンが
電気自動車の改良に努め
特に充電可能なバッテリーの開発に邁進し
1900年時点のアメリカは
38%が電気自動車で蒸気40%、ガソリン22%
ニューヨークのタクシーは
すべて電気自動車だったようです
しかし、広大な国土を持つアメリカでは
航続距離の短さが克服し難いネックとなり
やがて彼のもとで内燃機関を研究してい
たヘンリー・フォードによる
フォード・モデルTの成功により
自動車市場は完全に内燃機関自動車に
変わる事になりました
ところが、再び電気自動車に注目が集まります
日本は石油資源に乏しく
当時もほとんどを輸入に頼っていました
さらに、当時のガソリンは
政府による統制がなされており
ガソリン不足に悩んでいました
その折に登場したのが
東京電気自動車社(後のプリンス自動車工業株式会社)
の「たま電気自動車」です
「たま」は鉛蓄電池への一度の充電で
65km走れ最高時速は35kmの性能でした
しかし、1950年に電池の材料である
鉛の価格が上がったほか
1955年に道路運送車両法から
電気自動車の項目が削除されたことで
電気自動車はまたしても
その姿を消してしまいます
とうのが大まかな歴史です
「鉛が高騰し」とありましたが
少し前の現代と同じですね
一時、リチウムが異常に高騰していましたが
現在では以前の5分の1まで暴落しています
話は戻り
5月10日に初めて事故記録されたことで
この時期に交通安全運動を行うことに
なったのだろうと考えましたが
実は春の交通安全運動は4月で
今年は統一地方選挙が行われたからだそうです
色々と調べてみると勉強になりますね
ちなみに昨日5月10日は
世界の王貞治さんの誕生日です
最後まで読んでくださって
ありがとうございました
ではまた明日
今日も素晴らしい
1日になりますように
田中健介
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